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ボンジョルノ!

  まもなく、70年前の8月14日と15日の2日間のみを描いた映画「日本のいちばん長い日」が来る。8月8日、ちょうど1週間前に全国一斉に上映開始だそうだ。その映画についてと陛下のご聖断について8月2日に10チャンネルでは「なんでも言って委員会」で取り上げで喧々諤々(アゴからつばが飛び出るほど)やっていました。

  「安保関連法案」の参議院審議もたけなわで、甲案乙駁、あることないこと、想像だけのこと、70年も80年も前のことを持ち出してきて、アナクロもいいとこで、こういうのを机上の空論と称すのですか、これは日本人の国民性のようで、相手は自分たちの予想通りに動いてくるという前提ですから、話になりません。

  さて、終戦前、静岡の藤枝に100機ほどを預って米艦隊の波状攻撃を迎え撃った強者がいたようです。その名を美濃部正少佐と言って、大本営、いや海軍ですから軍令部というへきでしょうか大西式特攻で米機動部隊に飛行機を突入させ自爆して戦果を挙げよという究極の選択でおよそ3,500機ほどの「空の神兵」つまりカミカゼ特攻隊として米艦に体当たり攻撃をしてそれなりに戦果をあげましたが、彼、美濃部少佐は「特攻」に反対、いわば、自分の戦歴から自己流戦法を貫いた剛の者だったわけです。

  氏はそれまでに戦闘機で敵機を撃ち落したり、艦艇を沈めたりの武勲を挙げてきた美濃部少佐はこの「体当たり自爆」が費用対効果算式では無駄が多いことを知り抜いており、自分の預る100機あまりの「ゼロファィター」や改良型の「彗星」などでパイロットを
特に「夜間攻撃」専門で敵方の艦船の裏をかくとう戦法で戦果を挙げていたという報告をつい最近みました。 その部隊は「芙蓉部隊」というそうです。終戦時には失った機が半分で約50機ほどは燃料、弾薬が整えばいつでも出撃できるくらいだったとあります。

  彼、美濃部少佐は生き残り後に海上自衛隊、空将まで出世して後輩たちの育成に尽力したキャリヤがありますから、彼の下で薫陶を受けたパイロットたちは1機討千の腕前に違いありません。 当の「特攻案」をひねり出した大西瀧治郎(氏名が不正確ならごめん)中将は8月16日自害して果てたということのようです。ところで、美濃部姓は達吉氏「天皇機関説」や亮吉氏の「東京都知事」などアンチ権力というか反骨スピリットの血流なんでしょうか!? 

  あの戦争をいろいろと記録や戦史などを読むと先ず「軍人が政治を為す」愚かしさに気付かされますが、日本は平清盛以来、1200年ほどに渡り、「武家政治」がさも当たり前のように歴史を継いで来ましたが、それが1945年の敗戦という多大な犠牲と物的被害を
国内のみならず近隣国にも加害して来たというアーカイブス今一度「教訓」としてこれからの国政、外交に生かしてもらいたいものだ、と「70年、トムの独白」をブログオンしました。
 チャオ!

  





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2015.08.03 


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